我が子は0歳7ヶ月。
可愛いと思ったことはない。
平日の昼下がり、お昼ご飯を食べた後、リビングに大人用のシングル布団を敷いてお昼寝の態勢に入る。
午前中に遊び疲れたのか、布団に寝かせ、私も隣で横になり、少し添い乳でチュパチュパしただけで、ものの数分で眠りに落ちていった。
そんな息子の口から、そっとおっぱいを外し、ダイニングテーブルの上のお茶碗たちをキッチンに運び、シンクに置きっ放しになっていた朝ごはん後の食器とともに洗い物をしながら、先日友人が我が家を訪れた時の事を思い出していた。、
「我が子は可愛いって言うでしょ?実際どう?やっぱり可愛い?」
出産後、たくさんの友達が出産祝いに家を訪れてくれる。先日も中学からの友人が出産祝いに、息子の服を買って持ってきてくれた。
そして、やっぱり皆聞いていく。
我が子は特別可愛いでしょ?と。
その時私は、オレンジジュースを飲みながら「そうだね。」と答えたけれど。
実際は「可愛い」なんて思っていない。
予定日を2日過ぎ、3000グラムをゆうに超え、35時間にも及ぶ陣痛の末、やっとこさ出てきた我が息子。
生まれたてのその顔は、猿とガッツ◯松を足して2かけた感じ。俗に言うブサイク。
羊水を飲みすぎたのか、陣痛中腹のなかで寝ていたのか、目は腫れぼったい一重だし、鼻は旦那に似て団子鼻。頭は少しとんがってラグビーボールのよう。
股から出てきた瞬間は喜びよりも、長い長い陣痛地獄から抜け出した安堵感や疲労感の方が上回っていた。
立会い出産した夫は隣で大号泣。私の流れかけた涙を全て奪っていった。
入院中は、出産後のナチュラルハイだったのか、寝なくても余裕。産んだ次の日から母子同室を希望して、毎晩30分おきに授乳でも疲れ知らずだった。
退院後は、ナチュラルハイ効果が切れ、寝不足の毎日にイライラ。里帰り出産で実家に帰っていたため、毎晩泣く息子の抱っこを実母と二交代制という有難い労働環境の元、だいたい1ヶ月ほど里帰りする人が多い中、少し長めに2ヶ月ほどお世話になった。
夫と愛犬と息子と私の4人暮らしが始まってからは、平日はもっぱらワンオペ育児。初日、2日目くらいは息子の泣き声に起きて抱っこを代わってくれた夫も3日目からは全く気づかず、むしろいびきで息子の眠りを妨げる始末。
生後3ヶ月過ぎからだんだんと生活リズムが付いてきて、夜まとまって眠るようになり、母もやっと眠れる夜を手に入れたかと思った矢先、生後5ヶ月から始まった夜泣きにまたもイライラゲージがマックスになる。
眠たい。とにかく眠たい。
それしか考えられなかった1ヶ月。夜泣きが終息を迎える。
かと思いきや、生後6ヶ月で母から貰った免疫が切れ、風邪のオンパレード。毎週熱を出したり、鼻水ズルズル言わせてみたり、なんて貧弱なんだ。もっと強くなれよ。男だろ。と言っても仕方のない愚痴を我が子にぶつけてしまう日々。
現在生後7ヶ月にして、ようやく風邪パレードも、おそらくまたどこかしらからウイルスをもらってくるだろうが、一旦終わりが見えてきた。
顔も、生まれたて時の猿ガッツから人間に進化し、生後4ヶ月の際に手に入れた寝返りと生後5ヶ月でマスターした寝返り返りを武器に、今日も家中を転がりまくっていたところだ。
そんな我が子に思う感情は「可愛い」ではない。
他の家の子は確かに可愛い。インスタに挙げられる写真を見ても可愛らしいな。ふふふ。と微笑ましく見ている。
でも、我が子は違う。
我が子は、「可愛い」だけでは育てられないのだ。
離乳食で服や床をベタベタに汚される日なんてほぼ毎日。
オムツ変えしようとして、ベビーベッドに寝かせ、オムツを開いた瞬間にお◯んちんからションベンビームを発射され、その度に布団カバーを洗い、洗濯が追いつかず慌てて買い足す事も。
ベビーベッドに置いてトイレに行くだけで、この世の終わりと言わんばかりに泣き叫ばれると、こっちが泣きたいわ。もう3日も便秘なんだよ!と叫びたくなる時もある。(そして、近所の人に伝えたい。虐待じゃないんです!と。ほんと声を大にして言いたい。)
それでも、口の周りに、にんじんやほうれん草、米粒を、鼻の頭やおでこにまで付けて笑う姿や、おしっこ飛ばしてスッキリした顔でこちらを見つめてくる目や、トイレから帰ってきて抱き上げた瞬間に泣き止んでしめしめと言わんばかりに、ニャと笑う顔を見ると、あー。この子は私が育てるんだ。この子は私がいないと生きていけないんだ。と思う。
それは「可愛い」ではない。
それは「愛おしい」だ。
テレビに出ている女優さんやアイドルに対していう「可愛い」は我が子には当てはまらない。
そんな見た目だけの「可愛い」では子供は、人一人の命は育てられない。
もっと心の奥から湧き上がってくる責任感や、命の重さ、守りたいと思う気持ちや、母性のようなものが入り混じるそれは、言葉にするのが難しい感情だけど、あえて言葉にするならば「愛おしい」と言う言葉以外にないだろう。
まぁ.…きっとそのうち「うぜー。クソババァ」なんて悪態ついたり、門限なんてあってないようなものになるんだろうな。いつの間にか、何処の馬の骨かもわからぬ女の子と付き合って、家に連れてきたりするんだろうな。そんな時はそっと買い物に出るのが良いお母さんなのだろうか。
タキシード姿も似合うだろう。我が息子はハンサムになる予定だから。今までの生い立ちをまとめたプロフィールムービーなんか流されちゃったら、涙がちょちょぎれてしまう。嫁姑問題なんかも発生するのだろうか。それは相手の子次第か。それでも、あら。花子さん。掃除したのいつ?なんて言いながらタンスの上を人差し指でなぞるような事はしない。たぶん。きっと。
そして、そんな我が子もいつかは「親」になって、小さな小さな我が子を抱きながら思うだろう。「あー。こいつは俺が守らなきゃ」って。
先過ぎる未来の妄想にふけっていたところ、ふと我に帰る。
うん。先急ぐもんじゃない。妄想でも目から汗が出てくる。
まだ歩きもしなけりゃ、ハイハイすらできない我が子。
コップやお皿を洗い終え、キッチンからリビングに戻り、寝ている息子の隣に座る。
遊び疲れた息子は、リビングに敷いた布団の上で大の字で寝てるけれど、シングルの大人用布団が大きく見えるほどの小さな身体。
夢の中でもおっぱい飲んでるのか、小さなお口がもぐもぐ動いてる。
あー。愛おしい。
願いはただ一つ。親よりも長生きしてくれ。その為には毎日元気に育つんだよ。頭も出来ればよい方が良いと思う。成績は中の上くらいは欲しいな。もしかしたら、天才になって、ノーベル賞とか取っちゃうかも知れない。そうなったら将来は、老後の面倒頼んだよ。孫は男の子と女の子1人ずつ見られると幸せだな。ひ孫まで見られたらいう事ないな。
私の湧き出る大量の欲が伝わってしまったのか、寝ながら「ふぅーー。」と大きなため息をつく。
ごめんごめん。
寝ている息子の隣に横になって、息子のお腹をトントントントン。
愛おしいわが子よ。
ゆっくりゆーっくり大きくなるのだぞ。
我が子は可愛いだけでは育てられない
これは、我が子は生後7ヶ月の頃に書いたスマホ内のメモアプリに書いていた日記のようなもの。
可愛いと思うことはありますよ?
でもここで言いたかったのは他人の子に対する可愛いとは違うという事。
この文章を読み返して、改めて、
そうだな。うん。
と思う反面、そんなに気張らなくてもいいよ、自分。
とも思う。
今我が子は1歳。
7ヶ月の頃に比べると、できることも増えたし、意思表示もできるようになってきた。ママパパなら喋るようになってきたし、一人で立ったり歩いたりもできる。
前よりも、あわや事故!と思うような、誤飲や転倒も増えた。目はますます離せないし、責任感の重さ、命の重さは日々増すばかり。
それでも、1年育児をしてきて、少し遠くからゆったりとした気持ちで見守ることができるようになった気がする。
可愛い寝顔も、臭いウンチも、うるさい金切り声も、ご飯で汚れた服も、寝ながらのしかかってくる身体も、全部全部丸ごと大好き。
イラってすることも、クソって思うこともあるけれど、この子が大きくなるまで、大けがや大病にならない程度に見守りながら、一緒に成長していきたいと思うわけであります。
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